33歳で乳がんになっちゃった私の平凡な日常

乳がん患者家族から乳がん患者になってしまった33歳の私の平凡な日常をつづった日記です。

母の事。


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このブログを書いていなかった間にとても辛いことというか、心配なことがありました。

 

ありました、というか現在進行形です。

 

 

うちの母のことになります。

 

 

母は数年ずっと抗がん剤治療をしながらガンと闘ってきたのですが、2月の頭くらいから急にご飯が食べられなくなり、吐き気を訴えるようになりました。

 

 

最初は、抗がん剤の副作用かな?と思っていたのですが、色々な検査をしても原因はわからず。

 

入院したりもしたのですが、症状は変わりませんでした。

 

その後、先日主治医の先生から「もう抗がん剤治療はできない。緩和ケアにうつることを考えた方が良い」ということを言われました。

 

8年間の間、予後の悪い乳がんとその後の転移したガンと母はずっと闘ってきたので、正直いつかこんな日はくるのだろうと思っていました。

 

 

思ってはいたけど、やはりとてもとてもショックで信じたくなくて、先日もう一つ違う病院でセカンドオピニオンをしてきました。

 

 

結果はやはり現在の主治医と同じ見解でした。

 

 

これも心のどこかではわかっていたのですが、やはりもう緩和ケアの道しかないんだ、ということがハッキリとわかりました。

 

もしかしたら何か今の母にもできる抗がん剤があって、もう少しもう少し長く一緒にいられるんじゃないかってどこかで期待していました。

 

抗がん剤のような辛い治療を続けることが本人のためなのかは疑問ではありますが、家族としては、何か良い薬はないのか?と思っていました。

 

なので、辛かったです。

 

 

でも、どこか心の中でホッとした気持ちもありました。

 

ホッとしたっていうと、語弊があるかもしれませんが。

 

 

 

8年もの間、ずっとガンという病気と真っ正面から向かい合い、闘ってきた母。

 

 

辛い副作用が出た時も、思うように歩けなくなった時も泣き言一つ言わなかった母。

 

 

もう、苦しい辛い治療をしなくても良いんだ、って思ったんです。

 

 

これは家族の、いや、私個人の勝手な気持ちです。

 

 

とにかくもう母には、辛い気持ち苦しい気持ちを味わって欲しくない、これが今の願いです。

 

 

もちろん1日でも長く生きて欲しい。

 

 

だけど、苦しんで欲しくない。

 

 

この2つの想いをもってます。

 

 

正直、あとどれくらい母が生きられるのかは誰もわかりません。

 

 

先生からは、大体この位という余命宣告は受けました。

 

でも、それにとらわれたくない、という思いでいます。

 

だって誰の寿命も神様にしかわかりませんよね。

 

 

しかし、いつ何が起きてもおかしくないんだっていう気持ちは持ち続けて母と向き合っていきたいと思っています。

 

会える時間を大事にする。

 

 

今、母のことは主に父が看てくれています。

 

父は定年後も週4日で働いていたのですが、今月から介護休暇をとり家に居てくれています。

 

在宅での緩和ケアを始めているので、点滴を1日1回交換したりなどなど色々とやることはあるようです。

 

弱っていく母を毎日そばで見るのはすごく辛いと思います。

 

 

父の話し相手になったり、たまに私が行って母を代わりに看て、父に気分転換してもらったりできたらいいなぁと思います。

 

 

 しかし、今コロナの影響で実家には電車で1時間半なので頻繁に行き来するのがためらわれる状況です。

 

母にうつしてしまったらもう後悔してもしきれませんし。

 

悩ましいところであります。

 

 

憎きコロナめ…

 

 

ちなみに今の母の状況は、吐き気がある、痛みがでてきた、話は気分の良いときならできる、このような感じです。

 

吐き気がここ数か月ずっとあるので、なんとか軽減してほしいなと思います。

 

話ができる状態なのは、短時間でもすごく嬉しいことです。

 

 

もっともっと話したい。

 

 

 

また書きます。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆